NHKの朝ドラ「花子とアン」を見て、原作を読んでみようと思い立ちました。その原作「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」の中の、「赤毛のアン」誕生の部分を読みびっくりしました。
内容はこんな感じです・・・・・・
1950年(昭和24年)に「風と共に去りぬ」を出版した三笠書房という出版社では、それに続く新しい作品を探していました。三笠書房の編集者小池喜孝は、村岡花子のもとを訪ねます。そこで、花子から手渡されたのが「アン・オブ・グリン・ゲイブルス」の訳稿でした。小池は社長の竹内に交渉し、出版が決定します。そのときに問題になったのがタイトルです。原書のタイトルを直訳すると「緑の切妻屋根のアン」になってしまいます。「赤毛のアン」はどうだろうと提案したのが小池喜孝でした。彼は、まさに「赤毛のアン」を誕生させた人でした。「赤毛のアン」は、1952年(昭和27年)5月10日に出版されました。
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その小池喜孝さんは、三笠書房が倒産した後北海道北見で高校の教師になります。それと同時に、民衆の歴史に深くかかわることになっていきます。
民衆の歴史研究者として有名だったころの小池喜孝さんに、私は2度会っています。学生のときに「歴史研究会」というサークルに入っていました。このサークル主催で、地域の歴史を訪ねて歩こうというバスツアーを企画し、その案内役を小池先生(当時、高校の社会の先生でした)にお願いしたのです。打ち合わせの時に先生のお宅にお邪魔したこともあります。家の中が本だらけでびっくりしました。先生はとても優しく迎えてくれました。バスツアーの時も、とても熱心に説明してくれました。その姿が懐かしく思い出されます。まさか、「赤毛のアン」を誕生させた人だとは夢にも思いませんでした。
今は絶版でもう手に入りませんが、小池氏が出版した民衆の歴史を描いた作品をぜひ読んでもらいたいです。私は「鎖塚」「常紋トンネル」「秩父颪」を読んだことがありますが、図書館で探して他の本も読んでみようと思っています。
余談ですが(^^; 「花子とアン」のナレーターの美輪明宏さんがドラマの最後でいつも「ごきげんよう、さようなら」と言いますが、それがとても不思議でした。なぜこんなことをわざわざ言うのだろうと・・・。今回、「アンのゆりかご」を読んで、その訳が分かりました(*^o^*)