日航機墜落と横山秀夫さん


20年前の日航ジャンボ機墜落事故のとき、横山秀夫さんは群馬県の上毛新聞社の記者でした。その当時は群馬県警担当のサブキャップ。テレビで事故を知り、水も食料も持たずに革靴のまま現場に向ったそうです。翌朝自衛隊員と一緒に、6時間半かけて御巣鷹の尾根まで歩き続けます。その当時の経験をもとに、作家になってから「クライマーズ・ハイ」(2003年刊行)を発表しました。事故の描写は、それを全身で経験した者にしか描けない迫力があります。そして・・・。事故から20年たって、横山さんは当時を回想してこんなことを語っています。

それまでいろんな現場を踏んできたわけですけど、日航機事故の現場を伝える言葉を知らなかった。記者として伝える言葉の限界も超えていた。 (北海道新聞より)

昭和60年は息子が生まれた年でした。そしてその息子は今年成人式を迎えました。この長い年月、犠牲者の家族の方々の悲しみや苦しみはずっと続いていたのです。あの時、朝のニュースで映し出された御巣鷹山の様子は私に衝撃を与えました。一瞬にしてたくさんの命が失われました。
1985年8月12日午後6時半発の飛行機は大阪行きだけではありませんでした。千歳行きもあったのです。その千歳行きの飛行機に乗った友人は、何年もたってからその時のことを話してくれました。あの日、大阪行きの飛行機に乗る人たちと同じところで出発を待っていたそうです。そして・・・。大阪行きの飛行機に乗るために分かれていった人たちのほとんどが亡くなってしまった・・・。このことにとてもショックを受けたそうです。あの日あの時見た人たちがこの世にいない。その事実に彼女は耐えられなかったと言いました。
多くの人の命を奪い、残された家族に深い悲しみを与えたこの事故の教訓は、生かされているとは言えないと思います。飛行機も列車も安心して乗れるように・・・。それが願いです。
↓実際の遺体収容の様子を克明に綴った作品です。おすすめです。「墜落遺体」(飯塚訓)

127日間、520人全員の身元確認までを最前線で捜査にあたった責任者が語った本です。
生々しい描写。激しい衝撃が人間をこんなふうに変えてしまうものか!と驚くほどです。身元確認の困難さ、そして関係者が遺体の扱いをこれほどまでにていねいにしていたとは!知らなかった事実がたくさんありました。事故の記憶を風化させてはならない!あらためて感じさせてくれる本です。

2005年8月12日

ゆこりん : 20:39 | コメント (2) | トラックバック (2) | Diary


このリストは、次のエントリーを参照しています: 日航機墜落と横山秀夫さん:

トラックバック

» 沈まぬ太陽 3 御巣鷹山篇 山崎豊子 from *Happy Light*
日航ジャンボ機墜落から今日で20年。 TVでは特番が相次ぐ。墜落に何があったのか。残された家族の悲しみと苦しみ。 あってはならない事故であったと思う。 ... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年8月12日 22:02

» 日航機墜落事故から20年。 from ホンのひとりごと
当時、子供だった私の記憶にも残る日航機墜落事故。 あの事故からもう20年。 各局、特番が組まれています。 山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』、 飯塚訓さん... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年8月17日 19:33

コメント

こんばんは。
「クライマーズ・ハイ」は読んでいなかったので。
わたしの場合は「沈まぬ太陽」にしました。
あれから20年、忘れてはならない人災ですよね。
反省はないのでしょうか。交通で一番売らなければならないのは、安全ですよね。今も教訓は活かされているとは思えません。

ところで、釧路ですか?

投稿者 よし : 2005年8月12日 21:57

ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよう
「沈まぬ太陽」は私も読みました。
日航の対応には怒りを感じますよね。
いまだに飛行機事故はなくなりません。
列車事故も・・・。
教訓が生かされていないのが悲しいですね。

私は網走の近くに住んでいます(*^▽^*)

投稿者 ゆこリん : 2005年8月13日 07:21